2009年03月25日
函館測候所
日本一古い測候所の歴史
1872(明治 5)年 8月26日 開拓使による函館気候測量所(函館区船場町9番地)を設立。1日3回の気象観測を開始
現在の金森倉庫近くと思われます。
1879(明治12)年 6月 6日 庁舎を函館区高砂町19番地に移転
1882(明治15)年 2月 8月 函館測候所と改称

明治15年地図
左下 紫の地域の中白抜きの場所が測候所、現在の若松町八万通りの端辺りか

上の地図で+の印は外国人居留地 明治の函館にはたくさんの外人さんがいたのでしょ
1923(大正12)年10月15日 函館区海岸町埋立地に庁舎移転
1940(昭和15)年 9月 1日 現在地(函館市美原3丁目)に庁舎新築移転
1942(昭和17)年 8月25日 函館海洋気象台と改称/特大>
測候所写真は北大付属図書館より
気象台情報は函館気象台沿革史より
明治地図は函館図書館より

1872(明治 5)年 8月26日 開拓使による函館気候測量所(函館区船場町9番地)を設立。1日3回の気象観測を開始
現在の金森倉庫近くと思われます。
1879(明治12)年 6月 6日 庁舎を函館区高砂町19番地に移転
1882(明治15)年 2月 8月 函館測候所と改称

明治15年地図
左下 紫の地域の中白抜きの場所が測候所、現在の若松町八万通りの端辺りか

上の地図で+の印は外国人居留地 明治の函館にはたくさんの外人さんがいたのでしょ
1923(大正12)年10月15日 函館区海岸町埋立地に庁舎移転
1940(昭和15)年 9月 1日 現在地(函館市美原3丁目)に庁舎新築移転
1942(昭和17)年 8月25日 函館海洋気象台と改称/特大>
測候所写真は北大付属図書館より
気象台情報は函館気象台沿革史より
明治地図は函館図書館より
at 06:52│Comments(10)│
│歴史的資料
この記事へのコメント
1. Posted by バガ―マン 2009年03月25日 10:14
日本最初の海洋気象台を創設した福士成豊さん(と言っても会ったことは無いんですけど)。
最初の海洋気象台は若松町辺りだったんですね。今は確か亀田支所近辺ですね(バス停があります)。
成豊さんは箱館丸を建造した続豊治さんの次男。
元外国人居留地の跡近くにある今の喫茶Joe?当時の成田廻漕店に勤務していて新島七五三太を1864年夏のある夜に沖に停泊していたベルリン丸へ導き密航を助けた人です。
新島が10年後に帰ってきて私の母校が創設されたので、福士さんは大恩人ということです。
称名寺に一度詣でないとね。
最初の海洋気象台は若松町辺りだったんですね。今は確か亀田支所近辺ですね(バス停があります)。
成豊さんは箱館丸を建造した続豊治さんの次男。
元外国人居留地の跡近くにある今の喫茶Joe?当時の成田廻漕店に勤務していて新島七五三太を1864年夏のある夜に沖に停泊していたベルリン丸へ導き密航を助けた人です。
新島が10年後に帰ってきて私の母校が創設されたので、福士さんは大恩人ということです。
称名寺に一度詣でないとね。
2. Posted by おぢさん 2009年03月25日 14:09
バガーマンさん
函館は海貿易の街だったので
天気情報が大事だったのでしょうね
海洋気象台の名前になったのは
近年でして
最初は開拓使による函館気候測量所というのが、現金森辺り
そして、高砂、海岸、今の亀田支所あたりって事なんですね
称名寺は函館山三十三観音像の三十三番目や旧幕府のなんとかが在るそうです。
函館は海貿易の街だったので
天気情報が大事だったのでしょうね
海洋気象台の名前になったのは
近年でして
最初は開拓使による函館気候測量所というのが、現金森辺り
そして、高砂、海岸、今の亀田支所あたりって事なんですね
称名寺は函館山三十三観音像の三十三番目や旧幕府のなんとかが在るそうです。
3. Posted by バガ―マン 2009年03月25日 17:10
福士成豊が明治5年に自宅で始めたのが日本初の海洋気象台ということですね。
http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/soumu/hensan/jimbutsu_ver1.0/b_jimbutsu/hukushi_nari.htm
おぢさん指摘のように正式名称として 函館海洋気象台となったのは1942年とのことです。
小学校の頃、ラヂオを聞いていると、「函館海洋気象台発表の暴風警報とか強風注意報」というのがよく出ていましたね。
洞爺丸台風の日は日曜で停電していて、海洋気象台の予報も何もあったもんじゃなかったですね。
尤も、喩え停電でなくともあれだけ速い台風の動きならば今の衛星、レーダー観測でも避難の警報が出せたかどうかは疑問ですが。
しかし、函館って本当に風の強い町ですね。おぢさんちのドアがパタンパタンするのを聞くたびに実感します。
http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/soumu/hensan/jimbutsu_ver1.0/b_jimbutsu/hukushi_nari.htm
おぢさん指摘のように正式名称として 函館海洋気象台となったのは1942年とのことです。
小学校の頃、ラヂオを聞いていると、「函館海洋気象台発表の暴風警報とか強風注意報」というのがよく出ていましたね。
洞爺丸台風の日は日曜で停電していて、海洋気象台の予報も何もあったもんじゃなかったですね。
尤も、喩え停電でなくともあれだけ速い台風の動きならば今の衛星、レーダー観測でも避難の警報が出せたかどうかは疑問ですが。
しかし、函館って本当に風の強い町ですね。おぢさんちのドアがパタンパタンするのを聞くたびに実感します。
4. Posted by おぢさん 2009年03月25日 17:54
バガーマンさん
今日はとても荒れてます
風向きが東方向なので
ドアが開いて、雪がぶつかり
このまま気温が下がったら、たいへんです。
福士成豊 ブラキストン商会に居たんですね
最初に函館気温データーや天気日記つけたのがブラキストン商会だと
言われてたような気がします
今日はとても荒れてます
風向きが東方向なので
ドアが開いて、雪がぶつかり
このまま気温が下がったら、たいへんです。
福士成豊 ブラキストン商会に居たんですね
最初に函館気温データーや天気日記つけたのがブラキストン商会だと
言われてたような気がします
5. Posted by midy 2009年03月25日 22:35
>福士成豊
私もお会いしたことはありませんが、何故か良く知っています。
と言うのも、私の中学校に福士家の子孫が居たのです。(当然ですが)最初はそんなことも知りませんでしたが、何かの拍子で「ハゴダデの気象台作ったのは福士のじいさんだってさ!」という話が出て、それでも幼い中学生だった悪ガキどもは「へぇ?、そうなんだ」程度の反応。後年になって「すごい人だったんだ!」と思ったものです。
地域が地域だけにハゴダデ創世記の頃の子孫はけっこう居たようで、洋船づくりの船大工の頭や、和洋折衷家屋建設の棟梁、等々歴史の一ページを彩った人々の子孫の中で暮らしてたんですね。今なら聞きたい話がいっぱいあったのにな??!と言っても本人たちのあんまり知らないようだったけど。
私もお会いしたことはありませんが、何故か良く知っています。
と言うのも、私の中学校に福士家の子孫が居たのです。(当然ですが)最初はそんなことも知りませんでしたが、何かの拍子で「ハゴダデの気象台作ったのは福士のじいさんだってさ!」という話が出て、それでも幼い中学生だった悪ガキどもは「へぇ?、そうなんだ」程度の反応。後年になって「すごい人だったんだ!」と思ったものです。
地域が地域だけにハゴダデ創世記の頃の子孫はけっこう居たようで、洋船づくりの船大工の頭や、和洋折衷家屋建設の棟梁、等々歴史の一ページを彩った人々の子孫の中で暮らしてたんですね。今なら聞きたい話がいっぱいあったのにな??!と言っても本人たちのあんまり知らないようだったけど。
6. Posted by バガ―マン 2009年03月26日 09:17
>Midyさん
福士さんという表札のあるお宅を、確か船見町かあの辺で見ました。そうじゃないかなと思っていましたが。
さ?て、どの辺りだったのか?
福士さんという表札のあるお宅を、確か船見町かあの辺で見ました。そうじゃないかなと思っていましたが。
さ?て、どの辺りだったのか?
7. Posted by おぢさん 2009年03月26日 11:22
このようなHPみてました
箱館(函館)における気象観測は1854(安政元)年から1858(安政五)年まで,箱館奉行所で「風向・風力・天気・気温・ほか」が定時観測としておこなわれていた(函館市史・デジタル版).これが知りうる最初の長期定点気象観測である.
その後,1859(安政六)年から1860(万延元)年の間,ロシア人医師アルブレヒトが箱館付近の自宅で気象観測をおこなっていたことが記録に残っている.一時期はこれが日本最初の気象観測といわれたこともあるようだ.
約三年間の空白を置いて, ブラキストンが1864(元治元)年から1871(明治四)年までの八年間は雨雪日数を,1868(慶応四)年から1871(明治四)年までの四年間は,気温、気圧を観測した.これがこれが引き金となり,開拓使・三等属測量課長の福士成豊*2が官営測候所をつくり,ブラキストンの観測機器を引き継いで,日本最古の函館測候所に引継がれて今日に至っている.
福士成豊さんの事が少し判りました
http://agch.cside.ne.jp/yezogeology/index.html
箱館(函館)における気象観測は1854(安政元)年から1858(安政五)年まで,箱館奉行所で「風向・風力・天気・気温・ほか」が定時観測としておこなわれていた(函館市史・デジタル版).これが知りうる最初の長期定点気象観測である.
その後,1859(安政六)年から1860(万延元)年の間,ロシア人医師アルブレヒトが箱館付近の自宅で気象観測をおこなっていたことが記録に残っている.一時期はこれが日本最初の気象観測といわれたこともあるようだ.
約三年間の空白を置いて, ブラキストンが1864(元治元)年から1871(明治四)年までの八年間は雨雪日数を,1868(慶応四)年から1871(明治四)年までの四年間は,気温、気圧を観測した.これがこれが引き金となり,開拓使・三等属測量課長の福士成豊*2が官営測候所をつくり,ブラキストンの観測機器を引き継いで,日本最古の函館測候所に引継がれて今日に至っている.
福士成豊さんの事が少し判りました
http://agch.cside.ne.jp/yezogeology/index.html
8. Posted by バガーマン 2009年03月26日 20:36
測候所の話してたら、昨日からはごだでぃは雪が降ってるじゃないの?
誰だったかなあ?3月第1週の終わりの雪を見て、3月になって雪降るか??これがこの冬最後の雪だべなぁって言ってたのは?
若しかしたら、今年は桜吹雪が本物の雪混じりになるかも知れないよ。今朝、東京と横浜では雪がちらつきました。桜の開花宣言の後ですぜ。
福士さんに話は戻って、今ある喫茶Joeが福士さんが1864年当時勤めていた成田回漕店。だから建物は150年以上経ってるんですね。
その成田回漕店、どんな業務をしていたのか何故かとても興味あり。但し、ネット検索しても全く解らない。
おぢさん、頭の隅にこれ置いといて下さいな。
誰だったかなあ?3月第1週の終わりの雪を見て、3月になって雪降るか??これがこの冬最後の雪だべなぁって言ってたのは?
若しかしたら、今年は桜吹雪が本物の雪混じりになるかも知れないよ。今朝、東京と横浜では雪がちらつきました。桜の開花宣言の後ですぜ。
福士さんに話は戻って、今ある喫茶Joeが福士さんが1864年当時勤めていた成田回漕店。だから建物は150年以上経ってるんですね。
その成田回漕店、どんな業務をしていたのか何故かとても興味あり。但し、ネット検索しても全く解らない。
おぢさん、頭の隅にこれ置いといて下さいな。
9. Posted by てっちゃん 2009年03月27日 01:14
そう言えば
青柳小?潮見中の同窓で福士さんと言う人がいました。
クラスが違ったので、イマイチ記憶があいまいですけど。
でも
函館と言う街は、すごい歴史の有る街なんですね?。
この歳になってから、そのすごさみたいのがやっとわかってきました。
青柳小?潮見中の同窓で福士さんと言う人がいました。
クラスが違ったので、イマイチ記憶があいまいですけど。
でも
函館と言う街は、すごい歴史の有る街なんですね?。
この歳になってから、そのすごさみたいのがやっとわかってきました。
10. Posted by おぢさん 2009年03月27日 12:53
バガーマンさん
回漕業で調べると倉庫を持たないで
船から荷物を運ぶ仕事とか書いてますね
てっちゃん
私もネット遊びするようになってから
函館歴史が少し判るようになってきました
回漕業で調べると倉庫を持たないで
船から荷物を運ぶ仕事とか書いてますね
てっちゃん
私もネット遊びするようになってから
函館歴史が少し判るようになってきました