正月用 塩鯨函館花火大会 08

2008年12月17日

昭和28年 自由市場

私は昭和24年生まれなので
戦中、戦後の食料難時代の記憶がありません

そして住まいが市場の直ぐ前なのと食堂の息子なので
とにかく食い物は、豊かだったような気がします

函館中の食べ物が、私の住んでる街に集まって来てたのかも


メヌキ、キンキ、マグロ、根ホッケ、カニ、その他 
今の方が高くて
買えません、経済危機的食料難時代です。


昭和28年 自由市場 我が家の向かい
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この写真の男の子は、私の同期 昭和30年頃か?
奥に果物が大量に積まれてます
戦後ちょこっと経って物心ついた、私は幸せでした。

この頃市場の八百屋のおじさんが良く話してたのが
戦中、南の島で戦ってた時、木に臭いけど美味しい果物が生ってて
それを死ぬまでに、もう一度食べたいと何度も話してくれました
私がその果物がドリアンだと判り憧れて南の島に食べに行ったのは40歳過ぎでした、そのおじさんは食べる事が出来なかった

親が良く話してくれた樺太時代、毛蟹なんか小さいから剥くのがめんどうだから
大きなタラバ蟹を捕まえて茹でて食べてたとか
ニシンは骨が多いから、数の子だけ塩して、身は捨ててた
浜に行き、糸に針 適当な餌で大きな魚が簡単に釣れたので
食うのに困らない 冬でもカンカイががっぱり釣れ、鍋にしたり
干したりしてたとさ

いわしは、浜に湧くとザルでスクう

春になれば フレップ(木の実)がたくさん採れ、ジャムにして保存してた

じゃがいもの美味しさも、このよりいかった

ただ、イカはあんまし居なかったとさ。

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at 23:36│Comments(2) 昭和の函館 | 函館 大門関係

この記事へのコメント

1. Posted by ハエポロ   2008年12月20日 15:24
今私は青森に住んでいるのですが
私の父が大洋漁業に務めており
遠洋漁業(クジラやスケソウを捕る)に
行ってましたので、その船が函館に
ちょくちょく入港してました。
ですから子供の頃は見送り、
出迎えに函館までよく行ってました。
懐かしいです。
もう少し都会的な感じを受けましたが・・
なんたって青森ですから
函館は都会なんです{笑い}
懐かしいし、オヤジを想いだします・・・
2. Posted by おぢさん   2008年12月20日 16:42
 ハエポロさん
青森と函館は大昔からとても深く繋がってたようですね
お侍さんたちは青森の藩が多く駐在してたし
青函連絡船時代には
簡単に行き来してました
太陽漁業の船団長さんは
長いこと手塚さんだったのですが
お父さんなら覚えてたのかもね
函館は遠洋、北洋漁業で栄えてたよね
お世話になりましたね
昔、食べてた鯨はお父さんが獲って
運んでくれた訳だ
そして、私たちが食べてたんだね
今回の写真は昭和30年頃なので
今とはずいぶん違いますね。 

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