2008年10月27日
函館古絵
古絵をみて歴史年表をたどってみた
歴史年表より抜粋
異国船打払令(いこくせんうちはらいれい)
いわゆる文政打攘令で、江戸幕府が発令した外国船取り扱い細則であ
る。
鎖国制度のもとでも、 それまでは幕府も穏便主義をとっていたが、
外国の軍艦や捕鯨船などが、 日本沿岸に接近するものが多くなったため、
幕府は1825年(文政8)にいたって接岸する外国船はすべて有無をいわさ
ず打ち払い、上陸せんとするものは、これを捕縛または射殺すべきことと
する規則を作って発令した。でも不都合も多く、42年(天保13)に廃止した。
年表を見てると外国の軍艦や捕鯨船が多く接近してたが
穏便主義をとってたとあります
という事は、函館にもたくさんの外国船が着てた可能性が大きい訳だ
1802年に蝦夷奉行(のちの函館奉行)を創設
1808年 間宮林蔵が樺太探検
1778年 ロシア船、国後島に来て、松前氏に通商要求 拒否
函館の港、歴史はかなり昔から盛んだったと思われる
捕鯨船、軍艦が津軽海峡をウロウロしてたんだべな
想像してみた。




歴史年表より抜粋
異国船打払令(いこくせんうちはらいれい)
いわゆる文政打攘令で、江戸幕府が発令した外国船取り扱い細則であ
る。
鎖国制度のもとでも、 それまでは幕府も穏便主義をとっていたが、
外国の軍艦や捕鯨船などが、 日本沿岸に接近するものが多くなったため、
幕府は1825年(文政8)にいたって接岸する外国船はすべて有無をいわさ
ず打ち払い、上陸せんとするものは、これを捕縛または射殺すべきことと
する規則を作って発令した。でも不都合も多く、42年(天保13)に廃止した。
年表を見てると外国の軍艦や捕鯨船が多く接近してたが
穏便主義をとってたとあります
という事は、函館にもたくさんの外国船が着てた可能性が大きい訳だ
1802年に蝦夷奉行(のちの函館奉行)を創設
1808年 間宮林蔵が樺太探検
1778年 ロシア船、国後島に来て、松前氏に通商要求 拒否
函館の港、歴史はかなり昔から盛んだったと思われる
捕鯨船、軍艦が津軽海峡をウロウロしてたんだべな
想像してみた。




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│歴史的資料