2014年09月26日
トラックバックURL
この記事へのコメント
1. Posted by カオル 2014年09月26日 19:48
おぢさん
おばんです。
貴重な新聞ですね。
今、この前読んだ洞爺丸台風の本を読み返しているところです。
以前に岩内町の火事について書かれていた方がいらっしゃいましたね。
本を読み返してみると岩内の火事の事も書かれていました。
最初の沈没があった直ぐ後に岩内ではアパートの2階から出火した火の手が、あっというまに町中に広がったのですね。
岩内町の2/3が焼けるというすさまじい火事だったんですね。
おばんです。
貴重な新聞ですね。
今、この前読んだ洞爺丸台風の本を読み返しているところです。
以前に岩内町の火事について書かれていた方がいらっしゃいましたね。
本を読み返してみると岩内の火事の事も書かれていました。
最初の沈没があった直ぐ後に岩内ではアパートの2階から出火した火の手が、あっというまに町中に広がったのですね。
岩内町の2/3が焼けるというすさまじい火事だったんですね。
2. Posted by おっさん 2014年09月26日 20:08
おっさん、3歳の時の出来事。近所の寺院には無数の棺と聴いていてことを思い出す。以前にも書き込みしたかも知れないが、この事件があって青函トンネルの
話が出たと聴いている。よくぞ成し遂げたものだ。函館を離れて連絡船には何度となく乗船したが、青函トンネルの体験はない。空が速いから。新幹線出来ても
乗らんと思う。乗務員で助かった方もいると聴く。複雑な気持ちは消えないね。
話が出たと聴いている。よくぞ成し遂げたものだ。函館を離れて連絡船には何度となく乗船したが、青函トンネルの体験はない。空が速いから。新幹線出来ても
乗らんと思う。乗務員で助かった方もいると聴く。複雑な気持ちは消えないね。
3. Posted by バガーマン 2014年09月26日 20:10
おぢさん
ほんとに慟哭の一週間だね。
あの日の今頃(午後8時ころ)は凄い風ですぐ裏手にあった北洋博の建物から垂木が風に飛ばされて、我が家の雨戸に何本もぐさり、ぐさり、ガラスがばりんばりんと割れて、これじゃ堪らないと暫くして汐見神社の社務所に一家で逃げ込んだんだよ。
あの日は昼間はいい天気の日曜、午後から停電でまさかこんな凄まじい台風が来るとは夢にも思わなかったね。
青柳の生徒にも父や兄を連絡船で亡くした人が多かった。
翌朝は素晴らしい晴れで暑かったわ。
改めて亡くなった方々のご冥福を祈る。
ほんとに慟哭の一週間だね。
あの日の今頃(午後8時ころ)は凄い風ですぐ裏手にあった北洋博の建物から垂木が風に飛ばされて、我が家の雨戸に何本もぐさり、ぐさり、ガラスがばりんばりんと割れて、これじゃ堪らないと暫くして汐見神社の社務所に一家で逃げ込んだんだよ。
あの日は昼間はいい天気の日曜、午後から停電でまさかこんな凄まじい台風が来るとは夢にも思わなかったね。
青柳の生徒にも父や兄を連絡船で亡くした人が多かった。
翌朝は素晴らしい晴れで暑かったわ。
改めて亡くなった方々のご冥福を祈る。
4. Posted by おぢさん 2014年09月27日 01:21
カオルさん
この新聞は遺族の方が、洞爺丸台風関係が載ってるのを買い求め保存してたのを
上磯のセメント工場近くで洗濯屋をやって他人が、私にくれたものなんです
岩内の大火もかなり大きな災害だったようです。
おっさん
この事故は気象情報あまい
船長ら連絡船関係者の状況判断の間違いとかだと、今なら言えてしまいます
連絡船が悪い訳ではなく、動かす人の責任
だと思うのです
今はフェリーが活躍してます
バガーマンさん
ほんとうに怖い夜でしたね
怖くて机の下に布団かぶって震えてました、次の日にはそこら中にマサや飛んできた物が散乱して、わやでした。 慰霊堂方面には煙が上がり、いっちゃだめと言われました.
60年経ち、函館では、あんまし大きな災害も無く、幸せだと感じております
この新聞は遺族の方が、洞爺丸台風関係が載ってるのを買い求め保存してたのを
上磯のセメント工場近くで洗濯屋をやって他人が、私にくれたものなんです
岩内の大火もかなり大きな災害だったようです。
おっさん
この事故は気象情報あまい
船長ら連絡船関係者の状況判断の間違いとかだと、今なら言えてしまいます
連絡船が悪い訳ではなく、動かす人の責任
だと思うのです
今はフェリーが活躍してます
バガーマンさん
ほんとうに怖い夜でしたね
怖くて机の下に布団かぶって震えてました、次の日にはそこら中にマサや飛んできた物が散乱して、わやでした。 慰霊堂方面には煙が上がり、いっちゃだめと言われました.
60年経ち、函館では、あんまし大きな災害も無く、幸せだと感じております
5. Posted by 八王子の山ちゃん 2014年09月27日 06:06
洞爺丸事件、岩内町大火は小説「飢餓海峡」の舞台ですね。
貴重な新聞記事は悲惨な状況、遺された者の慟哭を如実に
伝えていて今でも胸に迫ります。
遺族にとっては60年過ぎても変わらない気持ちと思います。
私が高校時代に新鋭連絡船が就航し、その後 青函トンネル
開通、さらにあと二年後には新幹線開通・・・
故郷の繁栄を願いながらも、変わらぬ姿を求める私は少々
複雑な気持ちでいますよ。ごめんなさい。
貴重な新聞記事は悲惨な状況、遺された者の慟哭を如実に
伝えていて今でも胸に迫ります。
遺族にとっては60年過ぎても変わらない気持ちと思います。
私が高校時代に新鋭連絡船が就航し、その後 青函トンネル
開通、さらにあと二年後には新幹線開通・・・
故郷の繁栄を願いながらも、変わらぬ姿を求める私は少々
複雑な気持ちでいますよ。ごめんなさい。
6. Posted by カオル 2014年09月27日 10:41
おぢさん
こんにちは。
上磯の洗濯屋さんのお話は帰省の際に話してくれた方ですね。
バガーマンさんの書き込みをみて9月26日は日曜日だったのを初めて知りました。今読み返している本にも曜日は書いてあったと思いますが、曜日まで気にして読んでいませんでした。
日曜日の夜の大惨事と分かり、何だか胸がいっぱいになりました。
また、翌日は台風一過の晴天との事で、その天気の中での救助活動や捜索活動があった事も創造するだけで胸がしめつけられるような思いで皆さんの書き込みを読んでいます。
こんにちは。
上磯の洗濯屋さんのお話は帰省の際に話してくれた方ですね。
バガーマンさんの書き込みをみて9月26日は日曜日だったのを初めて知りました。今読み返している本にも曜日は書いてあったと思いますが、曜日まで気にして読んでいませんでした。
日曜日の夜の大惨事と分かり、何だか胸がいっぱいになりました。
また、翌日は台風一過の晴天との事で、その天気の中での救助活動や捜索活動があった事も創造するだけで胸がしめつけられるような思いで皆さんの書き込みを読んでいます。
7. Posted by カオル 2014年09月27日 10:43
おぢさん
訂正です。
誤)創造
↓
正)想像
訂正です。
誤)創造
↓
正)想像
8. Posted by おじん 2014年09月27日 12:01
この事故は5歳の時でした。爺さんに連れられて慰霊堂に行ったの覚えています。
遺体はふやけてたの思い出します。
この頃ですよね、タコから人間の髪の毛が出てタコは喰えなくなった時を思い出します。
おぢさんも知っている奴ですが親父さんがこの事故の被害者で昨日当時の話をしました。
小生もですが1歳で父親を亡くし親父の思い出っていったらないんですよ。
親父と飲みたかったと言うことで話は終わりました。
遺体はふやけてたの思い出します。
この頃ですよね、タコから人間の髪の毛が出てタコは喰えなくなった時を思い出します。
おぢさんも知っている奴ですが親父さんがこの事故の被害者で昨日当時の話をしました。
小生もですが1歳で父親を亡くし親父の思い出っていったらないんですよ。
親父と飲みたかったと言うことで話は終わりました。
9. Posted by おぢさん 2014年09月27日 15:29
皆さん
60年前のお話
色々ありますね、いやな思い出でありますが
教訓になったのかも、我が国では!
60年前のお話
色々ありますね、いやな思い出でありますが
教訓になったのかも、我が国では!
10. Posted by 柴わんこ 2014年09月28日 22:07
おぢさん、こんばんは。
洞爺丸台風で思い出すのは、母から
聞いた話です。当時、祖父の友人が
七重浜に住んでいたので、一家総出で救助のお手伝いをしたんですが…自力で船を脱出し、なんとか岸まで泳ぎつけた方たちが、そこで力尽きて次々に亡くなっていってしまう事が辛くてたまらなかったそうです。中には毛布で体をくるんだ瞬間に、安心しきったように微笑んで亡くなる方もいたとかで…その時の表情が忘れられないと、母に涙ながらに話していたそうです。
その事故では父の恩師も亡くなられていますので、両親にとって洞爺丸事故は、未だに忘れ難いものとなっているようです。
洞爺丸台風で思い出すのは、母から
聞いた話です。当時、祖父の友人が
七重浜に住んでいたので、一家総出で救助のお手伝いをしたんですが…自力で船を脱出し、なんとか岸まで泳ぎつけた方たちが、そこで力尽きて次々に亡くなっていってしまう事が辛くてたまらなかったそうです。中には毛布で体をくるんだ瞬間に、安心しきったように微笑んで亡くなる方もいたとかで…その時の表情が忘れられないと、母に涙ながらに話していたそうです。
その事故では父の恩師も亡くなられていますので、両親にとって洞爺丸事故は、未だに忘れ難いものとなっているようです。
11. Posted by おぢさん 2014年09月28日 23:58
柴わんこさん
そうですか
当時
救助などに参加された方々には
忘れられない思い出になってるんですね
二度と無い事を
そうですか
当時
救助などに参加された方々には
忘れられない思い出になってるんですね
二度と無い事を
12. Posted by 山下 信彦 2016年05月15日 23:55

私は神奈川県川崎市在住の山下と申します。
大変貴重な写真ですね。
改めて犠牲者のご冥福をお祈りいたします。
先日北海道新幹線の普通車で同席した中国人カップルに「洞爺丸」遭難をたどたどしい中国語で説明したところ、大変驚かれていました。
函館北斗駅で下車する際、
请别绝对忘记!
海有悲哀的历史。
请别忘记现在安全的旅行成立
是建立在许多人的牺牲上面的
(日本語訳)
私たちは絶対に忘れてはなりません。
海には悲しい歴史があり。
多くの人々の犠牲の上に現在安全に旅行ができることを絶対に忘れてはなりません。
と書かれた、紙を渡されました。
亡くなわれた人たちを思う気持ちに国境はありませんね。
13. Posted by おぢさん 2016年05月16日 11:34
山下 信彦さん
そうですか、よいお話です
青函トンネル計画
新幹線
「洞爺丸」遭難がきっかけで
計画されたと、言われてます
人間って、完璧でないので、
色々な経験、教訓、などを参考に進んでいかねば、なりませんね。
ありがとう、ございました
そうですか、よいお話です
青函トンネル計画
新幹線
「洞爺丸」遭難がきっかけで
計画されたと、言われてます
人間って、完璧でないので、
色々な経験、教訓、などを参考に進んでいかねば、なりませんね。
ありがとう、ございました