昭和31年 函館ニューモード函館のおぢさん2 子供の頃

2009年02月10日

函館 穴間  何回目?

穴間海水浴場
何時から始まり、何時無くなったのかは、判りません
とにかく、たくさんの人の思い出の場所なんですよね

こんな所に子供を連れて行けば
つり橋でびびり、おとうさんが穴間の淵で泳いでる姿をみせたら
子供達は、まぶい、とうさんすてきとか思うんでねーか。




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このへんは、しょうべんプールとよばれてた、水溜りがありました
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 この写真は、寒川です

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at 21:17│Comments(6) 赤帽子屋さん提供 | 穴間 寒川

この記事へのコメント

1. Posted by てっちゃん   2009年02月11日 01:11
昭和50年代に入ったころ、親父が穴間で監視員をしてました。
まぶい親父でしたよ{にっこり}
つり橋は木ではなかったような・・・あの洞窟にはゴムボートかなんかで入った記憶もあります。
潮の流れがとても強くて、泳ぎがあまり達者でなかった私はとても怖かったです{困った}
高校に入ってからは海にも行かなくなり、いつの間にか穴間も立待岬も海水浴場がなくなっていました。
懐かしい思い出がいっぱいよみがえってきました{笑い}
おぢさん、ありがとうございます{太陽}
2. Posted by おぢさん   2009年02月11日 02:15
 てっちゃん
どうも、おとうさんが監視員ですか
それは、まぶいです
黒キャップにラインがたくさん並んでたんですよね
憧れてたな
私は昭和43年に函館を離れたので
その時から穴間と立待ちから縁がきれましたが
50年代に穴間探検に加わり
ゴムボートを引っ張る役目をしました
大きなバッテリーを積んでサーチライトで穴の中を明るく照らしての撮影だったので
楽しく、水が美しかったです
ただ、地震とかの影響で天井から岩が落ちた形跡があり、もしかすると落石があるかと怖かったです
穴間の下をもぐると大きな丸い岩があり
そこまで潜れると、一人前だと思ってました7mくらいだったと記憶
穴のふちにはホヤとかウニがなんぼか付いてますが、すぐ採られてしまって無くなるので、寒川方面に遠征してましたよ
たくさん思い出がある場所です。 
3. Posted by midy   2009年02月11日 16:19
>しょうべんプール
子どもが言う時は「しょんべんプール」。本当に小便しちゃうとんでもない奴もいたよ。
潮が満ちると海中に没してしまうんですが、引き潮の時はプールというよりお風呂。海水が生暖かくなっていて、冷たい海水で冷えた身体には嬉しいプールでした。
中には「ごだっぺ」「小さなガゼ」「つぶ」「やどかり」「カニ」「イソギンチャク」、時には小さな縞鯛やベラの子どもなんかもいましたね。アウトドア雑誌「Be Pal」に出てきそうな磯遊びの宝庫でした。
4. Posted by おぢさん   2009年02月11日 16:59
midyさん
うんだ、しょんべんプールだね
おぢさんは岩についてる海草やイソギンチャクが苦手で、小学校時代には
運動会用の足袋を履いてました
水めがねで海の中を見るのもあんまし好きではなかった
特に穴の周りは気持ち悪かった
つり橋の下を底まで行けたのは
高校時代だったような気がします
今は潮溜まりをみると、燃える
おぢさんに成長。
5. Posted by IT歴史学者   2009年02月11日 17:10
 在野で歴史学を研究しております。実学的な観点から問題提起をして、ブログで公開していきたいと思っております。(2009年5月頃になる予定です。今後ともよろしくお願いいたします。)
6. Posted by おぢさん   2009年02月11日 17:13
IT歴史学者さん
どうも
どうぞよろしく、おねがいいたします。
 

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