2014年03月14日
1988年(昭和63年)3月13日 - 営業開始 青函トンネル
1988年(昭和63年)3月13日 に青函連絡船がなくなった
おぢさん的にはこの日をさかいに、青森方面との繋がりが切れた
連絡船で行き来した、八甲田山、 岩木山 弘前 青森、。小牧温泉
時間が係る事が心地よかったと思うようになってる
船内で宴会しながら、遊んで帰りにゆっくり寝る
青函トンネルが出来てから、時間短縮できて良いのかも知れないが
旅のおもしろさが半減
新幹線ができて点から点移動は早くなるけど、旅って時間かけて
途中でなにか食べたり、遊んだりすることも、、旅のうち
色々な移動方法があると思うけど、 新幹線はつまらない。
これから下は戦中に連絡船で働いてた人々
おぢさん的にはこの日をさかいに、青森方面との繋がりが切れた
連絡船で行き来した、八甲田山、 岩木山 弘前 青森、。小牧温泉
時間が係る事が心地よかったと思うようになってる
船内で宴会しながら、遊んで帰りにゆっくり寝る
青函トンネルが出来てから、時間短縮できて良いのかも知れないが
旅のおもしろさが半減
新幹線ができて点から点移動は早くなるけど、旅って時間かけて
途中でなにか食べたり、遊んだりすることも、、旅のうち
色々な移動方法があると思うけど、 新幹線はつまらない。
これから下は戦中に連絡船で働いてた人々
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この記事へのコメント
1. Posted by taiji141 2014年03月14日 22:14
小学校の修学旅行は函館でした。
中学校の時は道南地方。
いずれも青函連絡船に乗っての旅行でした。
青森県と道南ってなんか一体な感じのイメージが以前はあったような気がします。
トンネルができてからは、逆に用がなければ行かない場所になってしまったのかもしれません。
中学校の時は道南地方。
いずれも青函連絡船に乗っての旅行でした。
青森県と道南ってなんか一体な感じのイメージが以前はあったような気がします。
トンネルができてからは、逆に用がなければ行かない場所になってしまったのかもしれません。
2. Posted by おぢさん 2014年03月14日 22:36
taiji141さん
私は中学、高校と就職の時に乗ってましたし
こちらに帰って来てからも
何度も、利用してました
飲み会したり、寝ながら移動、どちらの街も見えてから中々着かないのが良かったです
近いんですが旅行って感じでした
見送りにも何度も桟橋に。
私は中学、高校と就職の時に乗ってましたし
こちらに帰って来てからも
何度も、利用してました
飲み会したり、寝ながら移動、どちらの街も見えてから中々着かないのが良かったです
近いんですが旅行って感じでした
見送りにも何度も桟橋に。
3. Posted by katsumi 2014年03月15日 10:29
おぢさん!こんにちは!
懐かしい連絡船の見送りシーンですね!
東京の学校へ通って居た時は年二回ぐらいは帰函していたので懐かしい風景で、
一度だけお袋が送りに来た時が有りました。
あの時何で来たのかは、今はもう解りませんが思い出しました。
そう云えば桟橋の連絡船が撤去されるとか?寂しいですね!いつ頃でしょうか
懐かしい連絡船の見送りシーンですね!
東京の学校へ通って居た時は年二回ぐらいは帰函していたので懐かしい風景で、
一度だけお袋が送りに来た時が有りました。
あの時何で来たのかは、今はもう解りませんが思い出しました。
そう云えば桟橋の連絡船が撤去されるとか?寂しいですね!いつ頃でしょうか
4. Posted by おぢさん 2014年03月15日 12:20
katsumiさん
連絡船の撤去は聞いてません
手前の桟橋跡は解体撤去されました
色々無駄遣いされた施設だったんで、思い出もたくさんあります
連絡船の撤去は聞いてません
手前の桟橋跡は解体撤去されました
色々無駄遣いされた施設だったんで、思い出もたくさんあります
5. Posted by F 2014年03月15日 20:20
私の世代では煙を吐く連絡船の記憶がありません(煙を吐タグボートはかろうじて記憶があります)連絡船も年々消息がわかなくなっていますね。八甲田丸と摩周丸はいつまでも保存してもらいたです。
6. Posted by おぢさん 2014年03月16日 00:27
Fさんはお若いんですね
おぢさんはたくさん思い出があり
たまに思い出しては、振り返ってしまいます
あと何十年かすれば、連絡船から煙が出てた事を覚えてる人が居なくなるんだろうな
おぢさんはたくさん思い出があり
たまに思い出しては、振り返ってしまいます
あと何十年かすれば、連絡船から煙が出てた事を覚えてる人が居なくなるんだろうな
7. Posted by えっ 2014年03月16日 22:41
渡り橋が上がり、ガクンと船が揺れ、
ジャーン、ジャン、ジャン、ジャーンと白い詰襟の船員さんがドラを鳴らし。デッキで出航を知らせます。
そんなに仲の良かったわけではない友人家の転勤で見送り。テープが欄舞いする中「こいつともう会うことも無いか」みたいで。演出過多でしたけど、飛行場の窓ガラス越しに手を振るのとは違いロマンティシズムがありましたね。
ジャーン、ジャン、ジャン、ジャーンと白い詰襟の船員さんがドラを鳴らし。デッキで出航を知らせます。
そんなに仲の良かったわけではない友人家の転勤で見送り。テープが欄舞いする中「こいつともう会うことも無いか」みたいで。演出過多でしたけど、飛行場の窓ガラス越しに手を振るのとは違いロマンティシズムがありましたね。
8. Posted by おぢさん 2014年03月17日 08:29
えっさん
そうですね、別れの雰囲気としてはかなり演出されてましたね、就職して大阪にたつ時には、泣けて泣けて、青森着くまで泣いてました。
逆にたまに帰って来る時に函館山、赤堤防を横切り、そしてガタンと着岸する、その時の気分を思い出しました。
そうですね、別れの雰囲気としてはかなり演出されてましたね、就職して大阪にたつ時には、泣けて泣けて、青森着くまで泣いてました。
逆にたまに帰って来る時に函館山、赤堤防を横切り、そしてガタンと着岸する、その時の気分を思い出しました。
9. Posted by バガーマン 2014年03月17日 18:07
おぢさん
連絡船なつかしいね。
先月は苫小牧から名古屋まで2日かけてフェリーに乗って、今月は14日大阪南港から鹿児島の志布志までフェリーに乗ってきました。
南港からの出航では岸壁サイドから五色のテープを投げて下さいという船内放送があって、窓から見てたら何十本のテープが殆ど見送りの人もいない岸壁に尾を引いていた。
ここじゃ別れの挨拶というより旅の始まりの合図だったわ。
大阪湾から六甲、淡路がすぐそこに見えて間もなく紀淡海峡の友が島を通過。
はごだでぃー青森間とはちと違うがなかなか風情があったよ。
国内のフェリーの旅も、まあ2日程度なら飽きがこないかな。それ以上は私には無理だな。
次回は東京港から九州の門司までこれも2日をプラン中。
新幹線の旅もいいもんだよ。
一昨日は志布志から鹿児島まで桜の咲き始めた大隈半島を横断。鹿児島中央から新幹線で博多下車で今朝瀬戸内へ。
そこから20分の高速船で着いた。
こっちは春だわ。でもPM2.5だと思うが空が濁ってる。
連絡船なつかしいね。
先月は苫小牧から名古屋まで2日かけてフェリーに乗って、今月は14日大阪南港から鹿児島の志布志までフェリーに乗ってきました。
南港からの出航では岸壁サイドから五色のテープを投げて下さいという船内放送があって、窓から見てたら何十本のテープが殆ど見送りの人もいない岸壁に尾を引いていた。
ここじゃ別れの挨拶というより旅の始まりの合図だったわ。
大阪湾から六甲、淡路がすぐそこに見えて間もなく紀淡海峡の友が島を通過。
はごだでぃー青森間とはちと違うがなかなか風情があったよ。
国内のフェリーの旅も、まあ2日程度なら飽きがこないかな。それ以上は私には無理だな。
次回は東京港から九州の門司までこれも2日をプラン中。
新幹線の旅もいいもんだよ。
一昨日は志布志から鹿児島まで桜の咲き始めた大隈半島を横断。鹿児島中央から新幹線で博多下車で今朝瀬戸内へ。
そこから20分の高速船で着いた。
こっちは春だわ。でもPM2.5だと思うが空が濁ってる。
10. Posted by おぢさん 2014年03月17日 18:48
バガーマンさん
長距離フェリーって1回しか経験ありません
川崎から九州宮崎日向まで、男二人旅、まだ20代で酒も飲めなかったころ、枕が変わると寝れない体質だったので、船の中では退屈であんましだった、その後2晩寝れなくて、3日徹夜状態、辛かったです。
食べる事だけが楽しみで、色々楽しみました、でも10日位で食べれる量ってたいしたことがなく、あんまし覚えてないです。
又、九州旅行に行きたい。
長距離フェリーって1回しか経験ありません
川崎から九州宮崎日向まで、男二人旅、まだ20代で酒も飲めなかったころ、枕が変わると寝れない体質だったので、船の中では退屈であんましだった、その後2晩寝れなくて、3日徹夜状態、辛かったです。
食べる事だけが楽しみで、色々楽しみました、でも10日位で食べれる量ってたいしたことがなく、あんまし覚えてないです。
又、九州旅行に行きたい。