2012年04月20日

昭和42年函館大門少し

昭和42年といえば、高校時代
和光デパートやテナントビル、ホテルなどが増えてきてたような気がする
ドックもちょうし良くてゴライアスクレーン建設計画もあり1975に完成
とても景気が良かった。

まだ観光に力を入れなくても、それなりに食えた
大企業が無かったのでドックや国鉄に就職できたら良いと思ってました
同級生たちの大半は関東に就職する事を望み、高校2年で就職が決まるので
3年になれば遊ぶだけだったような

近所の普通高校生たちは受験勉強で一生懸命だったんだろうな

人生の行方を決めた時期なので記憶に残ってます。



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このへんは我が家の並び。
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codaruma at 07:48│Comments(2)TrackBack(0)赤帽子屋さん提供 | 函館 大門関係

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この記事へのコメント

1. Posted by バガーマン   2012年04月20日 20:52
おぢさん、

その昭和42年(1967年)、私は10年ぶりにはごだでさ行ったんだよね。父が重篤な病でお世話になった方々に名代でお礼を言いにね。

十字街の寂れようには仰天するしかなかったわ。
それに引き換え、子供の頃には滅多に行った事のなかった大門の人出は凄かったね。多分八月のお盆の頃で、そっちのお盆は過ぎていたと思うんだけど、今の月光仮面の像の通りの辺りには噴水があったと記憶(記憶は嘘をつくけどねえ)、それとなんだかアーチのようなものもあったね。晩い時間ではなかったけれど灯りが点いていて老若男女がぞろぞろと歩いていて・・・・。
それでも、その頃街の中心は五稜郭に移りつつあったんだよね。

ここ10年ほど、日本中で街の中心が移動していく、或いはかつての街の中心が廃れていくのを見ていますが、はごだでぃはその先駆だったかも。それも他の街にだいぶ先駆けて・・・だんとつのトップランナーだったのかもね。
まあ、周回遅れのトップランナーかもね。

おぢさんは高校生だったのかい?
応援団でぶいぶい言わしてたんだな。

おぢさんが中学の頃、函工が2度ほど甲子園へ出たよね。TV見ながら応援してたわ。
2. Posted by おぢさん   2012年04月21日 03:31
バガーマンさん

丸井さんが五稜郭に移転、その後ホリタ、行啓通り拡張整備
確かに移動し始めてたのかもね

夜の世界の移動は昭和50年過ぎてからだと思います

本当に町の移動って早く、びっくりしてます
今の函病付近にも大きな商業施設が出来て
違う町に感じます
人口減ってるのに町が広がって行く
これも人間の好みなので、しょうがないんでしょうね。

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