これも懐かしい人には、たまらない、函館大門積りましたよ

2010年12月16日

これも素敵な写真でしょ

大門商店街のパレードですかね、

いろは屋の車


12

戦後は要塞も遊び場、ハイキング。
函館山 要塞跡



codaruma at 19:38│Comments(24)TrackBack(0) 赤帽子屋さん提供 | 昭和20年代

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by バガーマン   2010年12月16日 20:23
おぢさん

1枚目のは坂がすぐ後ろに見えてるから大門じゃないんじゃないかな?
中央のどっしりしたお家、見覚えがあるような無いような。
汐見坂のような気もするけど・・・。

山頂の要塞はよく行きました。
直登すれば子供の足でも20分か30分でしたから。
この写真はどっかの小学校の遠足かなんかでしょうか?
2. Posted by おぢさん   2010年12月16日 20:44
そうですね、護国神社の坂でしょう

要塞跡
どうでしょうか、家族連れのようにもみえますね。
3. Posted by katsumi   2010年12月16日 21:37
こんばんわ!

そうですね!一枚目の写真は、護国神社(招魂社)の坂ですね。
私の親父は括弧のように招魂社と言っていました。
写真の二本の煙突の家は「一色肛門科」
じゃないでしょうか??

要塞の跡は良く探検しましたよね!
頂上の途中の塹壕もおっかなびっくり
探検したもんです。
登山口からすぐのところの旧軍隊の水源がありましたよね。あの水美味しかった
。エキノコックス以降はクローズに成ってましたっけ。

懐かしい写真有難うございます。
4. Posted by ペン   2010年12月16日 23:56
こんにちは。

えー?護国神社の坂ですか?
それでは山の形がどうも・・・
多分、大黒町の繁栄ぶりの写真で、
坂の上の大きな家は旧ロシア領事館では?なんて思います。

katsumi様、登山口からすぐの水源。
すごーく美味しかったです!
毎年体育の日に、「1万人ラジオ体操」とかの名目行事で千畳敷に上るのが恒例でした。その際、必ず皆こぞって水源の水の味を楽しんだものです。
5. Posted by おぢさん   2010年12月17日 03:24
ペンさん
今みたいに木が生えてないので
山の姿は違って見えますが
やはり護国神社の坂ですね

旧ロシア領事館はもっと上に見えるはずですよ

山の水って飲んだこと無いです
今は出てますが、飲めない
今みたいに車が大量に上がってると
飲む気はしませんが
函館山の保水能力もかなりのもんで
山頂から千畳敷に行く途中には湿地があり
大きな蕗が生えてるところがありますね

大昔には山に横穴掘れば、水が出てくると言われてたようです。
6. Posted by きんこ   2010年12月17日 07:13
私の年代が戦後函館山に登っていた頃には要塞の跡に大砲がまだありましたよ、
男の子たちはが大喜びしてましたね、
千畳敷辺りには、はまなすが沢山咲いていて、登山道にはのぼたん等・・・。
もう一度ゆっくり歩いて登ってみたいです。
7. Posted by バガーマン   2010年12月17日 08:30
おぢさん

うん、追加された写真で汐見坂って確認でいましたね。
このボンネットバスもさることながら、トレーラーバスも走っていたと思うのですが。その写真はついぞ出てきませんね。

それと確かに山の容も今と違いますね。おぢさん言うようにまだ木が少なくて、冬場は山肌をスキーで滑る人の姿がよく見えていました。矢○君親子のようにね。

きんこさん
あれがハマナスだったんですね。
木とか花とか全く気にせずひたすら遊んでいました。
8. Posted by ペン   2010年12月17日 09:05
こんにちは。
追加の写真ありがとうございます。
なーるほど、護国神社の坂(汐見坂)ですね!
毎日毎日通っていた道なのに、道路の整備前なので違うように見えますね。
してみれば、ロシア領事館かと思ったおうちは私の昔からの友達の家でした。
では、撮影ポイントは現在高田屋嘉兵衛の銅像がある場所付近でしょうか?

私の家の極近くです。本当に素敵な写真ですね!
9. Posted by おぢさん   2010年12月17日 09:14
きんこさん

大砲が在ったですか
そりゃ男の子は喜びますね、乗っかって遊びたかったです
観光資源として残して置けば良かったのにね
函館山にはお年寄りの女性が登ってる事が多いんですよ、野花の写真に興味があった時には、山に毎日のように上がってました。

バガーマンさん
私がスキー始めた頃、S50年ころでも
山の上から斜面を滑る事ができた所が有りましたよ、確かスキーの本に写真入りで載ってたんです
ハマナスは色んな所で咲いてますね、緑の島、立待ち、新川、競輪場、
あの実を食べるとナスの味がするとか?

10. Posted by おぢさん   2010年12月17日 09:20
ペンさんの近くでしたか
懐かしいでしょうね
多分昭和30年代前半、赤帽子屋さんがバイクで宣伝してた頃ですから
ご本人に確認すれば、すべてが判ると思います。


ミッキーさん教えてください。
11. Posted by ミッキーでGO GO GO   2010年12月17日 11:16
昨夜は「海炭市叙景」を見に行ってました。

一枚目の写真の場所は大三坂です。二十間坂の集合に溢れた車両がこちらに流れたそうです。
右から二台目の後ろに丸い看板を付けたオートバイみたいなのはうちのものです。
いろは屋さんが写ってた時と同じ日ですね。
12. Posted by バガーマン   2010年12月17日 11:25
汐見坂

私が遊んでいたS24-S33の頃はアスファルトじゃなくて、石が敷き詰められていて石の間にセメントのような凝固剤が入っていました。だから石がよく剥がれていましたよ。
石墨で絵を描いたり、鬼ごっこの陣地を描いたりして長いこと遊べました。
車も少なかったですからね。

坂の両脇には常夜灯とおんこの木が緑地に並んでいて、秋にはおんこの実に随分とお世話になりました。

S30頃になると、話題のお家の辺りの緑地でめん羊が繋がれていて、季節が来るとバリカンで羊毛を刈っていて、それを珍しそうにガキどもが見守っていたもんです。

そして坂に向かって左手上にあった公民館では毎週なにか催し物がありましたね。
覚えているのは何と言っても映画。
風の又三郎とか見ました。驚いたのは見た映画の一つが私が内地に転校した時の同級生たちが(小学校の時に)出ていたものだったんです。転校先でももう一度見て、皆あれは俺だ、私だと大騒ぎしていました。

公民館では演奏や劇、手品なんかもやってました。殆ど地元というか近くの子供のためだけにやってくれていた感じですね。
13. Posted by おぢさん   2010年12月17日 11:26
「海炭市叙景」みましたか
感想は後でね

大三坂ってのは、判りませんね
3枚目とは違うってこと?

14. Posted by katsumi   2010年12月17日 12:31
ミッキーさん

一枚目の写真は大三坂ですか?
大三坂の始まりは電車通り・会所町のバス通りが平らな道でこのような広い平らな道は無いようですが?
それに上の方右側にはカトリック教会が有るはずですが、見当たりませんよね。
如何でしょうか?

15. Posted by バガーマン   2010年12月17日 12:44
大三坂

そうかも知れない。
思い出すと汐見坂なら電車通から坂のスロープまでもう少し奥行きがありそう。
嘉兵衛像から先は30-40m平らですよね。
ベンさん、そう思いませんか?

多分、ベンさんが見て違和感持ったのは正しいんじゃないかな?

しかし、いいねえ、坂の街はごだでぃならではのミステリー!
さあ、ここはどこでしょう?
はごだでぃ検定最上級設問ですなあ。

今日はこの冬一番寒い。まるで冬みたい。
16. Posted by バガーマン   2010年12月17日 15:51
おぢさん

う~ん、ヒマな午後ネットで大三坂の写真を探してみた。結論:わかんない!
かもしれないし、でないかもしれない。

結論その2:おぢさんがマロっ子同伴で現場坂下から確認中継するあるよろし。

ネットでは「大三坂は日本の道百選」に選ばれているとのことですな。
17. Posted by おぢさん   2010年12月17日 16:23
大三坂では、ありませんね

あそこなら、さいきん、お店ができたところだから、判りますし
山の恰好が違いますね

18. Posted by ミッキーでGO GO GO   2010年12月17日 18:07
父は大三坂と言ってましたが同じ時に撮ったいろは屋さんの方の写真を拡大してみました。
坂の上の方に大きな鳥居がうっすらと。巾も広いし街路樹もあるので護国神社の坂のように見えます。
それでも大三坂とがんばる父。
19. Posted by おぢさん   2010年12月17日 21:14
ミッキーさん

お父さんが、言うのですから

そういうことで

絵葉書と同じ場所ですね。
20. Posted by ペン   2010年12月17日 22:15
こんにちは。
あー、皆様ミステリー大好きなんですね。
こうなると、写真左端の
「多分木の電柱」が視界をさえぎっていて。
尚更ミステリーです。

木の電柱って昔は当たり前でしたよね。
(日本初のコンクリート電柱は函館にあるけど)
劣化防止のためにコールタールが塗られていた木の電柱、もう現実にはお会いできないでしょうね。
21. Posted by たか   2013年02月16日 22:37
三島由紀夫の「夏子の冒険」で主人公が汐見坂から函館山に上る場面がありますが、ちょうどそのころの写真だと思います。
登山口の入口も手前あたりから振り返ると港がまるで絵のように見えたと表現されていますが、当時は今よりもっと見晴らしがよかったのではないでしょうか。
22. Posted by おぢさん   2013年02月16日 23:11
たかさん

確かにその頃の写真だと思います

私はS24年生まれで、何度も山に上がってますが、景色の記憶がないのです

凾館公園や立待、穴間、西浜、赤川、その他思い出はあるのですが。
23. Posted by 暇人   2013年03月27日 15:11
初めて登ったのがS24年頃 正に この
写真の時代 当時はまだ 放送局
ロープウエイも 無いし 小学校の
遠足でも行きましたよ 要塞跡は絶好の遊び場 今でも覚えています 蜃気楼の
ようです。 
24. Posted by おぢさん   2013年03月27日 18:00
暇人さん
私が生まれたのはs24年ですから
初めて函館山に上がったのは、、s30年頃かも、確かに要塞跡で遊んだのは覚えてます

今はきれいに整備されて、危ないと思われるところには柵が

途中にあった暗い防空壕は、口が埋められて、何処にあったのか判らなくなってます。

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
これも懐かしい人には、たまらない、函館大門積りましたよ